今年猛暑だったので、厳しい残暑を覚悟していたのだが、気が付けば、朝夕すっかり涼しくなり、猫がすりすりする季節になっていた。月並みで申し訳ないのだが、秋と言えば、スポーツ、ファッション、読書、そして食欲の秋!そして私にとっての秋は、栗、芋、南瓜、なのだ! その中でも何と言っても栗!栗!栗! 栗は旨い!!!!
 幼少の頃、東京に住む叔母は柏の我が家迄遊びに来てくれる度、とにかく栗好きの私の為に西口のタクシー乗り場の前にいつも店を出していたおじさんから必ず天津甘栗をお土産に買って持って来てくれた。ついたあだ名はいつのまにかそして今だに「栗おばちゃん」だ。「栗おばちゃん」にも御無沙汰だが、あの甘栗おじさんもどうしたのだろう?ここのところ姿を見ない。いつも話はそれっぱなしだが、おじさんは雨の日も風の日も店を出していた。ある日、タクシー乗り場に一番近いバス停でバスを待つ私の耳に飛び込んできたのは、「首が痛い!首が痛い!」と泣叫ぶ子供の声。親は周りの大人は何をしてるんじゃ!と救出に向かおうと振り返った私が目にしたのは「栗買いたい!栗買いたい!」と親の手を無理矢理屋台に引っ張ていこうとする子供の姿であった。ちょん。

      

↑八百屋の前の赤いネットに入った栗達が、芋が、梨が、南瓜が、私に秋を感じさせてくれる。ちなみに、全部違う八百屋ですぅ。

 今の世の中では、金に糸目を付けなければ一年中どんな食べ物でも手に入るのだろうが、やはり旬のものはその時々に味わいたい。そして季節を感じたい。と、言いつつも天津甘栗にマロングラッセ、モンブランケーキと、私を誘惑する栗達は一年を通して街中に溢れている。ケーキなどは、あまりにも種類が豊富で頭がくらくらする程だ。私の子供の頃の柏には、ケーキと言えばモンテヤマザキしかなかった気がする。栗きんとんの様にまっ黄色のモンブランの上にこれ又まっ黄色の栗が載っていた。カステラの様なスポンジケーキの中にはカスタードと生クリーム。いや、もう不二家やリヨンはあったのかも知れないが、そこで頻繁にケーキを買える程裕福では無かった。モンテヤマザキのケーキも特別な時の御褒美だったのだろう。そうそう甘栗だって高級品だった、だからこそ「栗おばちゃん」なんてあだ名がついたのだ。(それはそうと、リヨンは何処に消えてしまったのだろう)

       

↑今の柏では、沖縄の果物から世界の果物まで手に入る。ケーキのディスプレーだって昔とは大違い!!!

 私が柏に住み始めてからもう30年以上もの時が経つ。建物が変わり、人が変わり、街も変わり続けている。今の子供達も芋掘り遠足を体験しているのだろうか?JRの社宅は昔は平家の住宅が並び、その端に有刺鉄線でかこまれた池があった。子供が悪戯して入らない様に池のまん中に髑髏マークの上に「ここで遊んではいけません」と書かれた立て札があり、私達は髑髏が池と呼んでいた。この季節になると、何の実だったのだろうか数珠と呼んでいたその有刺鉄線に絡み付いて生えている植物の実を集めて腕輪(数珠)を作って遊んだ。第七小学校の近くの十字架森(ここも道が森の中で十字に交差していたので、皆勝手に十字架森と呼んでいた。)には栗の木があったような気がする。時々落ちている毬を拾う幸運に巡り会うと(中に入っている栗は食べれる様な代物では無かったが)大事に大事に茶色くなって親に「もう捨てなさい」と注意されるまでとっておいた。子供の頃は柏の街がこんなにも開けるとは想像すらしなかった。便利になって都内に職場があれば別として、よほどの用が無い限り都内に出かける必要も無くなった。しかしちょっと寂しい気がするのは、私だけなのだろうか?それとも、只、秋だからなのだろうか? 

 
  何と無く栗御飯など作り証拠写真を撮ってみた。
 味よ〜し、飾り付けよ〜し、と自画自賛しているのだが、
 昔の何かのCMの様に「食べてくれる人、無〜し」なのだった。
 虚しい秋、物悲しい秋、それでも私は栗が好き。。。。。。
 結局は、、、食欲の秋なのネ。