私がかしわ倶楽部のコラムを書き出してから、番外編をいれて早7回目を迎えてしまいました。ということは、もう半年が過ぎ去っていったということであって、今年もとうとう1年の最後の月がやって参りました。歳をとると何故か一年がたつのが早い...。今月ばかりは、頬っ被りをして何時でも夜逃げ出来る様に常に心懸けております。
(もちろん冗談です。本気にされて自宅に取り立ての方に押し掛けられると洒落になりませんので念のため。)

      

 12月というと、全国的にクリスマスが全面に押し出されている今日この頃。街にはクリスマスソングが溢れ、師走の夜は華やかなライトアップで彩られている。もの心ついた時から、クリスマスは日本に定着していたので、何の疑問も抱かずに楽しく祝ってきたけれど、厳密には宗教儀式である。私は教会での結婚式には出席させて頂き、その場で渡された賛美歌を口パクで神妙に歌たった事は何度かあるし、仏教の御葬式は宗派の如何を問われずに受付をさせて頂いた事も含め経験豊富なのだが、未だに教会での御葬式というものを経験した事が無い。なのに雛人形を飾るのを忘れてもクリスマスツリーを飾らなかった年は無い。

    

 私の場合は自分の誕生日が12月24日のクリスマスイヴということもあり、子供の頃は近所の教会の日曜学校に通っていたので”主の祈り”は未だに諳んじているし、罰当たりな事に観光でヴァチカンを訪れた折り、自分自身で勝手に聖水を額に付けて洗礼してしまった。だが、日曜学校に行かなくなってからきちんと聖書を勉強した事も無く、宗教として信仰しているのではないので教会には行っていない。なのに自宅には勝手にイエス様とマリア様の為の祭壇を造ってある。しかしもちろん年始には神社やお寺に初詣でに出かけるし、旅先などでも神社仏閣があれば手を合わせてお参りしておみくじまで引いてしまう。だからその祭壇のすぐ隣に今は亡き祖母の仏壇代わりも造ってある。そしてまたそのすぐ近くには、桂子師匠の生前、新年の寄席で「どなたか客席の方」と壇上に上がらさられた友人から横取りした、彼が御祝儀で貰った内海 桂子・好江師匠の風呂敷が宝物としてしまってある。

               

 10代の後半から20代前半の3年程米国の中部で生活をした事があるが、クリスマスに友人の家に招待されると居心地が悪かった。遠方からも家族が集まり本当に主の誕生と家族が集えたことを心から祝う中では、この世に存在する何か絶対的な力を神様というのならば、私にとってはお釈迦様よりイエス様とマリア様の方が身近だ程度の独りクリスチャンは、疎外感を感じ、何でもありの日本で親しんできたお祭り騒ぎのクリスマスが懐かしかった。
 今の若い恋人達のクリスマスの解釈の仕方は、ちょっと踊らされ過ぎてるんじゃないの?と思う感も無きにしもあらずだが...。

   

 最近は、忘年会の幹事の代行をしてくれるサービスがあったり、仕出しのおせちの予約があったり、年賀状さえも出さない若い人が多という、元旦になった瞬間に携帯電話にメールを送るそうだ。私の若い頃は、クリスマス会も忘年会も新年会も、凝りにこった企画物が多かった。そういえば、栗きんとんを一から手造りしたこともあった。年賀状も手描きや版画だったりして、貰うのが待ちどおしかった。何時の頃からか結婚した友人達からは、子供の成長記録のような年賀状しか来なくなった。かと思うと、一度パソコンに打ち込んだ住所録をチェックしないらしく、もう何年も前に辞めた会社の個人的な付き合いがほとんど無かった同僚から儀礼的な年賀状が毎年送られてくる。世の中便利になっていくのも有り難いが、あまり便利になり過ぎると、師走になっても誰も走らなくても良くなるのではないだろうか? 
 と書きつつも、私はまだまだ走リ続けなければならないこの年の瀬、一緒に走っていらっしゃる皆様も、走る必要の無い皆様もどうぞお身体をお大切に。この半年、おつき合い頂きまして本当に有難うございました。