きっかけは、全くの偶然だった。実家に遊びに行くと冷蔵庫に左の様な、新聞が張り付けてあった。前回御紹介した「栗叔母」とは、また別の叔母が現在、JICAでカンボジアの孤児院の保母を教育する仕事をしており、今月からこのような手作り通信誌を発行する事になったと母に送ってきたらしい。私はたまには親孝行でもと考え、KICで仕入れてきた、ちらしを母に見せ、興味があったら、御一緒しませんかと誘ってみた。母は「奢ってくれるのなら喜んで!」と先回りして言ってきた。バイトの給料も出た事だし独りでも行くつもりだったので、 Let's Go!

 恥ずかしながら、WUUに行くのは初めてなので、私達は異様に早い時間に着いてしまった。会場の場所を確かめる為だけに、エスカレーターで5階まで登ってしまったのだが、民族衣装も美しい受付の方々に、良くいらっしゃいましたと優しく会場に案内されるがままに、一番前のテーブルに陣取ってしまった。スタートまで、あと2時間近くもある。私は会場の外の階段の踊り場に簡易喫煙所を作って頂き、長崎屋の上に浮かぶ三日月を眺めながら、煙草をふかしたりしていた。と、会場からホ−ミ−の歌声が聞こえてた。 

     

  おぉぉ!!!今日はホ−ミ−の演奏会もあるか!!!ホ−ミ−を御存じない方の為に「ホーミーとは大草原の国モンゴルの伝統的発声方法で一人で二つ以上の音を同時に発声します。低い音は喉から絞り出す唸り音(だみ声)、高い音は倍音を利用した口腔内部での共鳴音です。」(猪俣照雄氏のホームページ、ホ−ミ−ワールドより抜粋させて頂来ました。)許可を得てリハーサル風景も撮らせて頂きく事が出来た。そんなこんなで、決して早過ぎる到着ではなく思いもかけぬ贈り物が盛り沢山だ!!!気が付けばもう、スタートの時間になっていた。

    

民族衣装に着替えられ演奏して下さったた梅木氏、  YUU代表の児島氏、  企画:モンゴルの蒼い風グループ代表古谷氏 

  その後、ビデオドキュメンタリーが始まった。上映されたのは、「黒いサンタ」「らくだの涙」「碧い空」の3本。最近私事で落ち込んでいたカネ子ババアには、心打たれると言うより、「お前は何をしているんじゃい」と横っ面を叩かれたような気がした。1本1本のビデオを詳しく解説はいたしません。興味のある方は、きっと御自分でご覧になる機会に巡り会われると思います。ただ、私が、感じたのは何があっても生きて行こうとする子供達の逞しさ。遊牧民とその暮らしを支えるらくだとの信頼関係と絆の深さ。そしてなんて過酷なと感じられる少年時代をおくりながら、「この世で決して乗る事の出来ない少年時代への列車、あの素晴らしい少年時代に戻れる事なら戻りたい」と唄を贈ってくれた少年の皮肉なまでに純粋な心だった。

    

 喫煙所で御一緒になり、本当に何も知らず「モンゴルにいらした事あるんですか、」などと質問した失礼千万極まりない私に、優しく自然体で、色々な事を教え手下さった米山 毬子女氏。1年に何度もモンゴルを訪れ、現地の風、空気、空を体感し、遊牧民の方との交流、撮影時の苦労話、そしてマイナス40度の世界で親に捨てられ、マンホールに暮し、それでも将来の夢を語る子供達との交流を淡々と語って下さった。人間にとって一番大切なものが何なのかとても考えさせられた。
 予想を上回る来場者で立ち見まで出てしまった会場。きっとその一人一人がこのビデオドキュメンタリー&トークで自分の心の奥に深く刻み込まれた何かを消化しようとしていた時、梅木氏の最後の演奏が始まった。アンコールにまで答えて下さった氏の演奏では会場が一体となっていつのまにか手拍子が起こり最後は割れんばかりの拍手でイベントは終わった。

     

 最後にこのイヴェントを柏で開催する為に、力を尽くして下さった全ての皆さん、写真を使わせて頂きながらお名前も掲載しなかった方々、WUUというのでもしや、と思っていたら、やはり来場されていて、私がこのコラムを書く事を快く承諾して下さった高橋 章氏、に心より感謝致しますとともに、またすぐにモンゴルに旅立たれる、梅木氏、米山女史のますますの御活躍と御健康をお祈り申し上げます。私事ではありますが、この次に皆様にお会い出来ます機会が訪れましたら、胸を張って「KSNのコラムを担当しております。」と自己紹介出来ます様、奮闘努力する所存でございます。