2001.5

桜の下枝を落とさないで

by=上野さくら

5月。新緑の季節、到来だ。
今年は好天に恵まれ、桜の見頃には市内の名所「あけぼの山」や「柏公園」に大勢の人が訪れ、弁当を拡げ和やかに談笑する光景でにぎわった。春の柔らかな日差しの中、青空を背に優雅に咲き誇る桜の木々を眺めるていると、新しい季節を迎えた喜び、期待が胸一杯に広がり、何ともすがすがしい思いがするものだ。

さて、そんな4月のある日、市内の施設で視覚障害者のためのパソコン教室があると聞き、取材に訪ねてみた。
市内の有志たちが立ち上げた活動で、会場にはパソコンを習いたいと集まった生徒さんと教授役のボランティアが数人、早くもパソコンと格闘中、どちらも真剣な顔つきで画面に向かい、緊張した指先でキーボードをたたいている。

使用しているパソコンには音声ソフトが入っており、ワンタッチするごとに今触れたキーボードの音が発せられる。また、画面上の文章をマウスでなぞると、自動的に機械が読み取り、その文章を読み上げてくれる。なるほど、これなら目の不自由な人でも文章を書いたり、送られたメールを読んだりすることができるのね〜。初めてみる光景にちょっと緊張しながら、しばらくそのやりとりを拝見した。

「今、先生役をかってでている方も、実は視力に障害を持つ方なんですよ」と、傍らで見守る1人の男性がつぶやく。「彼は独学でパソコン術を修得し、人に教えられるほど上達したんです」という。「え、そんな・・・」一瞬、その言葉に驚いた。目が不自由でない私でさえなかなか使いこなせないというのに、どうやってパソコン術を身につけたのだろう。

「目が不自由な人たちには、頭の中にもうひとつの大きなパソコンがあって、イメージの中で操作しているんですね」とその男性、Hさんは話す。Hさんは定年退職後、今までの経験を生かして何かお手伝いしたいと、半年前からこの会でパソコンを教えているボランティアの1人だ。

「視覚障害のある人たちにパソコンの操作を教えるとき、ただ言葉だけを並べても伝わらないんです。むしろ、相手の頭の中をイメージして、どうやったら一緒に指を動かすことができるか、想像することが大事なんです。」つまり、見える見えないの問題ではなく、互いのイメージをいかに共有していくか、ということが重要らしい。Hさんは視覚障害のある人たちと触れ合い交流することで、今まで気づかなかった様々な事柄が見えてきたという。「本当に、いい経験をさせてもらっていますよ。」

帰り道、会の発起人でやはり視覚障害のあるAさんに誘われ、柏駅まで一緒に歩くことになった。実は私、今まで障害を持つ人の介助はおろか、話さえする機会もなく過ごしてきたので、Aさんをどう誘導したらよいのかわからない。内心「困ったなぁ」という思いがよぎり、妙な緊張感が身体を走る。

Aさんは、そんな私をまるで気にする様子もなく、私の右肩に手を置き、促すように歩き始めた。すると、どうだろう。2人で歩く歩道は思いのほか狭く、電信柱やガードレールの支柱が歩道側に出っ張っていたりして、何とも歩きづらいことに気がついた。普段は何気なく行き過ぎる道も、よくよく注意して歩くとデコボコがあったり、側溝のメッシュの網に杖の先がひっかかったりと、怖くてスムーズには歩けない。いつもの通い慣れた道なのに、このときばかりは全く別の道を歩いているような気さえして、道中がやたらと長い。歩きながら肩のあたりがキューとして、冷や汗が出そうな気分になった。

途中、神社の境内にさしかかると、Aさんは「ちょっと、ここへ来て」と、私を1本の桜の木の下へと誘った。あまり大きくないその木は、特に手入れなどされていないのか、その枝先を空へ地面へと無造作に伸ばしていた。私の目には、何ともさえない桜の木。この木に、いったい何があるというのだろう。

Aさんはその桜に近づくと、たらりと下がった1本の枝先を指さし、「ほら、この枝先にピンクの花びらがついているでしょう。ああ、よかった!今年もこうして桜を見ることができた・・・」と、うれしそうにつぶやく。
「私たち視覚障害者は、光が苦手。あなたのように、青い空に映える桜の花を見ることはできないんですよ。」話しながら、愛おしそうに枝先の花に触れる。「名所の桜はみなきれいな枝ぶりで、私たちはなかなか楽しむことができないんです。だから、私にとってこの桜は一番。できることなら、この下枝、来年も落とさないでいて欲しいなぁ・・・。」ふとつぶやいた、Aさんの一言。その言葉は、私の心の中で幾度となくこだました。

Aさんと柏駅で別れ、ひとり歩くダブルデッキ。数年前できたエレベーターは車椅子で乗り降りしやすいように工夫され、完成時には話題になった。また、JRや東武の駅にもエレベーターやエスカレーターが設置され、高島屋やステーションモールでは盲導犬や介助犬を連れだって買い物ができるようになった。デパートやスーパー、専門店街には赤ちゃんと一緒に入れるトイレが登場し、託児施設もできて、少しずつだがバリアフリーを意識した街へと生まれ変わっている。

でも、本当のバリアフリーって、いったい・・・?障害を持たない人たちの〈快適、便利、安心〉な施設や空間が、果たして全ての人のそれに繋がるのか。高齢者や障害を持つ人たちの意見やアイディアがどれほど反映されているのか。施設やまちをつくる人たちは、彼らの世界をどれほどイメージし、共有化できるのか。まだまだ、課題はいっぱいある。

柏のまちづくりの視点の中にも、様々な立場の市民の声がもっと反映され、形になっていって欲しいなぁ。改札口を入るとき、ふと、先ほどの桜の枝先の小さなピンク色の花びらに思いをはせた。