|
神官入場 |
両わきに「五穀豊穣」「無病息災」と大書された祭壇には、菅原道真の掛け軸が掛けられ、 聖護院大根やニンジンで作った亀、松竹梅などが供えられている。神官・野田友之さんによる 祝詞や玉串奉奠などの神事が一通り済むと、お待ちかねの祝宴が始まる。
まず、お囃子にのって披露されたのは「三助おどり」。裃(かみしも)姿の「旦那」が「三 助」を先頭に、大勢のお供をひきつれて、大名行列ふうに登場して、「何かにぎにぎしいこと はあるまいか云々」と口上を述べる。それにこたえて、右手にたくわん一本、左手に草履を持 った三助が、旦那の後ろになり前になりしながら、からかうような仕草をする。
三助踊りの登場 |
これは代官を笑わせようと始まったといわれるが、三助がいくらおどけて見せても、旦那は 仮面のように無表情のままだ。「は−、よ〜い、よい」と、かけ声を発しながら会場をねり歩 き、時にはお客にまでちょっかいを出すので、あちこちで笑いがおこる。行列の後ろには「愛 子様のお誕生おめでとうございます」と書いた幟と乳母車も加わり、華をそえた。
次に、当番による口上がうやうやしく述べられ、四方を踏み固める優雅な「三番叟」(さん ばそう)が、増田久美子さんによって舞われた。最後は、なんともユーモラスな「おかめ踊り 」が繰り広げられ、余興はクライマックスを迎える。
三番叟の舞い |
おかめが、9人のひょっとこを従えて踊る。もともと天の岩戸の伝説がもとになっているら しく、おかめの足下を照らすのが、ひょっとこ(火男)の役目である。船戸では、ひょっとこ の火打ち石が、いつしか男性のシンボルをかたどったものになり、手に手にそれを持ち、竹で 打ちながら踊るので、会場はやんやの熱気に包まれる。
この光景には、思わず顔が赤らんでしまうが、氏子たちは明るく笑い飛ばしている。あまり 珍しいので、出前の依頼がくることもあるとか。最後に全員で謡曲の「高砂」「四海波」「納 め」を唱和してお開きとなった。
船戸の場合は、弓射の儀式はなく、むしろ氏子同士の親睦慰労会という色合いが濃い。長い 歴史のあいだには、儀式の形態や身につける装束なども少しずつ変わってきたにちがいない。 だが平成の世まで続いていること自体に意味がある。本多市長も「郷土の伝統行事を長く守り 続けてこられた船戸の皆様に敬意を表します」と、祝辞を述べられた。
利根川流域の農民は、川の氾濫に苦しめられ、暮らしは決して楽ではなかった。祭りのなか には、お上への皮肉や、さまぎまな生活感情が塗り込められているという。だが、庭野すみれ の見た平成の「おびしゃ」は、殺伐とした世の中にあって、厳粛な気持ちと、底抜けに明るい 解放感とが同居する貴重な場に思えた。
三助踊り |
おかめ踊り |