2002.8.30 


<庭野すみれの なんでもウオッチング>
 千葉県指定の無形文化財
篠籠田(しこだ)の三匹獅子舞を見てきました
     

(記)庭野すみれ


西光院山門

この暑いときに獅子舞?と、思う人もいるだろうが、篠籠田の獅子舞は、毎年8月16日、お盆の施餓鬼(せがき)の 日に西光院の庭で行われる珍しい獅子舞である。祖先の霊をなぐさめ、五穀豊穣、家内安全を祈って、「大獅子」 「中獅子」「女獅子」の3匹が、舞を奉納する。

始まりは古く、徳川五代将軍綱吉の元禄時代といわれ、獅子も他ではあまり見られない竜頭の獅子である。 この地方が利根川べりの米作地帯だったため、水と縁の深い竜神信仰からきたもので、むかしは、霊験あらたか な雨乞いの舞いも行われたという。

西光院本殿

柏駅西口からバスに乗り、三間で降りると、西光院まで5分とかからない。風格ある山門をくぐると、参道の両脇に 植えられたイチョウ、しだれ梅、樹齢500年というカヤの木、風情をそえるオミナエシ、竹林などが目に飛び込んでくる。 広い境内には、焼きソバや綿アメの店が並び、すっかりお祭りムードだった。

昨年、落慶したばかりという立派な本堂でお盆の法要が行われ、それが済むと、獅子舞のはじまりである。 時間とともに、見物人がどんどん増え、境内いっぱいになった。「千人くらい来ているわね」と、ささやく人もいたが、 500人を超えて

金棒を先頭に獅子の登場

いたことは確かだ。

舞台は、4隅に若竹を立てて、3方をしめ縄で張りめぐらした簡素なもの。その周りをプロ、アマ入り混じっての カメラマンが陣取り、いまや遅しと待ち構える。午後4時近く、ようやく笛のお囃子(はやし)とともに、金棒を持った猿、 キツネ、ひょっとこらに先導されながら、三匹獅子が仕度宿から山門をくぐって登場してきた。

まずボタンの花をあしらった花笠が舞台の4隅に陣取る。10名あまりの囃子方は、舞台脇に座る。前座ともいえる 「猿舞」は、猿、ひょっとこ、

しの笛による囃子方

キツネが踊るもので、「岡崎城主は良い城主」と、天下を平定した徳川氏をたたえた「岡崎」 という曲と、「猿舞」の2曲を踊る。

道化師役ともいえる彼らの装束がおもしろい。唐草模様の半纏に色とりどりのたすきをかけ、片方の足に白い脚伴(きゃはん)、 もう片方の足にしめ縄を巻きつけている。笛の切れ目で「ホー、ホー」と声を発したり、お互いの頭をたたき合ったり、ユーモラスな 身ぶり手ぶりで踊るので、会場から笑いが起こる。2曲舞い終わると、最初のクライマックスともいえる清めの「塩まき」が始まる。

ユーモラスな猿舞

「カメラに気をつけて!」との声に、急いで愛用のカメラにタオルをかぶせたり、カバンにしまいこむ人もいた。5キロもの 塩が勢いよくまかれるので、すみれさんの帽子も、淡雪が降ったように白くなった。この塩をあびると、一年間は病気をしないと聞き、 「わっ、うれしい!」。昔は見物客をどこまでも追いかけて、なかなか戻ってこない猿面もいたという。

次にいよいよ女獅子(めじし)の登場。頭部に巻かれていた赤い布(こがけ)をはずすと、中央に短い角を生やした竜の頭が現れる。 しなやかに腰をかがめ、頭を左右、そして8の字に振りなが

女獅子とキツネの舞

らゆっくりとしたテンポで舞台を一巡する。子孫繁栄の意味もあるのだろう 、道案内の白キツネが隠し持った赤い包みから、男性のシンボルをちらつかせながら、先になり後になりしながら、からかうような 仕草をする。(うしろで、おばさんがクックと笑っていた)

次に中獅子(なかじし)の舞。これは勇壮活発な若衆獅子だそうで、腰に手を当て、首を力強くふりながら足をにじらせ、 ゆっくり中央に進み、紺色の「こがけ」をパッと垂らす。長い角と、大きな口、ギョロリとした目、背中まで垂れた長い羽毛をなびかせ、 貫禄充分だ。腹には太鼓をつけ、

力強い中獅子の舞

手には撥(ばち)を持ってゆっくりと舞う。

いよいよ最後に大獅子(おおじし)の登場。獅子一族の長として、落ち着いた動作で舞いながら、4隅の花笠とたわむれる仕草をする。 花畑に入った獅子がその香りに酔い、じゃれつき、よろこびを全身でかんじている様子を表現した舞だという。2キロもあるお面をつけ、 砂地の上を素足で10分あまりも舞うので、汗だくだ。舞い終わると、保存会の人たちがうちわであおいであげる。

三匹の獅子がそれぞれ舞い終わると、花笠が

貫禄を見せる大獅子の舞

一定の間隔で一列に並び、その間を縫うように、三匹の獅子がたわむれるという、 華やかなフィナーレの舞がはじまる。すべての舞が終了すると、入場と同じ隊列を組み、仕度宿へと引き上げてゆく。

舞やお囃子はすべて口伝で、昔は獅子と笛は長男、猿舞と金棒つきは次男、三男、花笠は花婿と決められていた。 技術を要する獅子舞と笛は、土地にとどまる長男に、猿舞や金棒つきは、いずれよそ者になる次男、三男でもできるということらしい。 また、この地では花婿がとても大事にされ、素足で大汗をかく舞い手をよそに、

花笠とたわむれる獅子たち

四隅にじっと座っていればよかったという。

全部で1時間半あまりの奉納舞を取り仕切っているのは、会長の増田一仁さんほか、保存会の皆さん。なかでも顧問の 伊藤正徳さんは、古くから伝わるお面や道具類の修復を受け持ち、笛も自ら作って子供たちに教え、囃子方の育成に力をそそいできた。 すべてが口伝だったため、1対1でしか教えられなかったが、今では伊藤さんによって譜面化され、いちどに教えることが可能になった。

西光院の渡り廊下には、伊藤さん手作りの見事な三匹獅子と猿面のレプリカが飾られている。当日の仕度宿には、 西光院まえの谷川輝夫氏宅が当てられ、面や装束などの道具類は、小山田金次郎氏宅に保管される。昭和50年、千葉県の 無形文化財に指定されたこの貴重な郷土芸能は、これらの人々によって、連綿と受け継がれてきた。「お疲れさま、ありがとう」の気持ちでいっぱいだ。

ちなみに「施餓鬼」とは、もともと悪道に落ちて苦しんでいる亡者(餓鬼)や、無縁の亡者に飲食物を与えて供養するものだったが、 いまでは一般にお盆の行事として、先祖や無縁仏の供養のために行われているとのこと。よし、来年もまた塩を浴びに行こうっと。