2003.1.20


<庭野すみれの なんでもウオッチング>
初詣で三ヵ所めぐり おみくじは「大吉」      

(記)庭野すみれ


参拝客でにぎわう柏神社

昨年のお正月は、旅先でころんで右手首を骨折。今年はおとなしく近場の神様にお参りしようと、1日に柏神社、 2日に松戸の華厳寺、3日に布施弁天と、駆け巡った。なんだか初詣でのハシゴみたいだが、柏神社も布施弁天も一度もお参りしたことがなく、 華厳時では火渡りの儀式があると聞いて、ぜひ行ってみたいと思った。

まず柏駅から5分ほどの柏神社に行くと、びっくり仰天。参拝を待つ人の行列は、なんと200メートルあまりにもなっていた。 あきらめて帰ろうかと迷っていると、塀越しに神楽殿で舞いを奉納する美

参拝を待つ長蛇の列

しい巫女(みこ)の姿が見えたので、「よし、ガンバロウ」と、腰をすえた。

大勢の人が根気よく並ぶなか、「ハイ、おさい銭」と、家族みんなに5円玉を配るおばあさんがいた。 それを見て、「あっ、5円でいいんだ」という空気が周囲に流れ、急いで5円玉を用意する人もいた。不景気だものね。 そういえば女性の着物姿も見かけなかった。

 1時間ほども並んで、やっと参拝。とくに信心深いわけでもないが、初詣でには毎年どこかしらに出かけている。  道ばたのお地蔵さんから夜空の星まで、何にでも手を合わせてしまうのが

柏お囃連による奉納舞

日本人なら、すみればあちゃんもコテコテの日本人だ。

後ろに大勢の人が並んでいるので、いろんな願い事を瞬時に済まさなければならない。すぐそばに並んでいた柏市内の中学生2人は、 部活のことでお願いに来たそうだ。神楽殿ではお囃子連の人たちによるおめでたい「浦安の舞」などが奉納され、お正月気分を盛り上げていた。

柏神社は旧水戸街道に面して、境内は広くないが山形県の羽黒神社と京都の八坂神社を合わせ祀った由緒ある神社。 立派な本殿は1974年

仲良し中学生の願い事は「部活」のこと

に完成、鳥居のそばには樹齢300年を超える大イチョウがそびえている。ここで引いたおみくじは「吉」と出た。 よかった。幸先いいぞ。

2日にお参りした松戸の華厳寺は、通称火防(ひぶせ)の寺。11時頃より数人の山伏によって、おごそかに火渡りの儀式が進められた。 6方向に魔よけの矢が放たれ、境内に積み上げられたヒノキの葉に火がつけられると、猛烈な勢いで炎が上がり、見物人から「オー」という 歓声があがった。

燃えたあとの灰を平らにならし、その上を今年

火渡りの儀式で弓を射る山伏

一年の無病息災を願って次々と人が渡ってゆく。同行した友人から「渡ってみようよ」と、 誘われたが思い切れなった。そのあと竹筒でお雑煮が振舞われ、祝賀の獅子舞や餅撒きがにぎやかに行われた。ここでのおみくじも「吉」。 よしよし。

3日はお昼頃から小雪のちらつく寒い日。だが朱塗りの美しい布施弁天の前に立つと元気が出た。なんたって弁天さまは、 七福神のなかでも唯一の女性の神様だもの。とくに布施弁天は、江ノ島、浅草と並ぶ関東三弁天の一つとして、 古くから信仰をあつめてきたという。

灰の上をつぎつぎと渡る参拝客

正しくは、「紅竜山布施弁天東海寺」といい、その由来は、大同2年(807)7月7日の夜、紅い竜が湖上に現れ、一夜にして小さな島 (現在の亀甲山)を築きあげた。すると、この日より天地が揺れ出し、不思議な光が射すので里人がたどってゆくと、岩屋のなかに小さな 尊像が見つかった。

それは実は弘法大師空海が但馬国(たじまのくに・兵庫県)で彫ったもので、のちにこの地を訪れた空海は自ら小堂に安置して 紅竜山東海寺を開いたといわれる。最初に伽藍(がらん)が建てられたのは嵯峨天皇の時の弘仁14年(823)

朱塗りも鮮やかな布施弁天

で、以来病気や災害から守るための祈願所とされた。

入り口の楼門、本堂、鐘楼は、柏市指定の文化財で、2001年にご本尊ご開帳記念として、大掛かりな化粧直しが行われており、 一段とあでやか。利根川の土手近く、周囲には桜の名所あけぼの山公園、日本庭園、農業公園、風車の広場などが点在。見どころいっぱいだ。

三日連続の参拝で、自分のことから世界の平和までいろいろ欲張ってお願いをした。布施弁天ではついに「大吉」と出た。 大吉と出ても<大吉

小学生による獅子舞の儀

人生>にするのは自分次第。2003年の時は刻々と刻まれてゆく。さあ、心も新たに頑張ろう! どうか愚かな争いが起こりませんように!