2005.10.02
からりと晴れ渡った秋晴れの10月2日、柏駅東口の駅前通り商店会(ハウディーモー ル)で行われたカリヨン祭に行ってみた。この通りのシンボル・カリヨンの鐘にちな んで命名された恒例の祭りである。この日は14組の大道芸人がそれぞれの芸を競っ た。 | |
最初に目にとまったのは「人面紙芝居」。画面に顔を出して演じるもので、「禁断の むかし話集」というのがなかなかの傑作だった。赤頭巾ちゃんの話では、子羊を食べ た狼のお腹を裂くと、すでにウンコになっていて、「あー手遅れでした」で終わり。 観客は爆笑。 | |
「人間ジュークボックス」も、アイデアがおもしろかった。ボックスのなかにトラン ペットを吹くおじさんがが入っていて、200円入れて120曲あまりのレパート リーのなかからリクエストすると、箱を開けて顔を出し、とても上機嫌で演奏をして くれた。 | |
なんといっても衝撃度ナンバーワンは、ギリヤーク尼ケ崎さんの青空舞踊公演と称す る一人劇だ。昭和5年、函館に生まれたギリヤークさんは、門付芸人や角兵獅子など の大道芸を見て育った。子ども心に感じていた芸人と見物客との人間的味あふれる触 れ合いを、自らも求めて、昭和43年から国内外で街頭公演を行ってきたという。 | |
地面に描かれた半径3メートルほどの円内が舞台となる。長く伸ばした髪をエイヤッ と束ねて変身開始。黒い衣装をまとい、素早く顔にをおしろいを塗り、口紅とシャド ウをちょんとつける。集まった人々は「いったい何が始まるのだろう」と、固唾を呑 んで見守る。まずゴザの上で軽く開脚。75歳といえども、さすがにしなやかだ。こ のように準備からすべて見られるのも大道芸の魅力だろう。 | |
やがて一本の赤いバラを口にくわえ、すっと背筋を伸ばし、きりりとした演者の顔に なる。指先を小刻みに震わせながら、曲にのせて「夢」を静かに舞い始める。人の輪 が、ただの野次馬から観客に変わってゆく瞬間である。ギリヤークさんの顔に時々白 い歯がのぞいた。天に向けられたまなざしの先に、夢が見えているのだろうか。 | |
次の「じょんから一代」の衣装は、赤い着物にピンクの腰紐、白い羽織。三味線をか つぎ、ゴザを小脇に杖をついて、「ごぜ」の姿で登場。小道具の三味線はかなり傷ん で穴があいており、それがまたもの悲しさをかきたてる。三味線をかきならす仕草が だんだん激しさを増す。 | |
立ち上がったり座ったり、バチを放り投げ、杖も吹っ飛ぶ。髪もいつしか振りほど き、地面に這いつくばり、また寝ころがり、激しい祈りが続く。その間には、赤いふ んどしもあらわになる。観客は言葉もなく圧倒され、もはや誰ひとりとして、その場 を離れようとしない。 | |
最後の「念仏じょんから」は、黒い着物に赤い帽子、首には念珠、入れ歯をは
ずして見事な老婆の姿に変身。ゴザの上で数珠を振りながら一心に祈る。だんだん激
しさを増し、数珠も放り投げ、ころげまわり、ぞうりも杖も飛んでゆく。ついには着
物も脱いで裸になった。 動作はさらにエスカレートして、水をかぶり、地面をころがり、舞台を走りぬけ、あ らん限りの表現をしたあと、「お母さ〜ん」と叫んで祈りは終わった。ようやく穏や かな顔になったいギリヤークさんは、車椅子で見物していた老人に握手を求めた。気 がつけばギリヤークさんの杖の先には、お母さんのものと思われる小さな遺影がつけ られていた。おもわず熱いものがこみあげた。 75歳の肉体はどこか痛々しく、見方によっては醜悪でさえあるかもしれない。だ が、それを感じさせないのは、名もなく貧しく消えていった大道芸人たち、そして戦 争、テロ、天災など、この世のあらゆる犠牲者を悼むギリヤークさんの気迫であろ う。 「昭和50年、パリ公演の前に、ここ拍で元気つけて行ったんです。だから柏がすき です。70歳まであと3年頑張りたい」と、ギリヤークさんは強調した。大道芸もい ろいろあるが、このような精神性の高い芸もあるのだと知った。このような商店会の 粋な取り組みも素晴らしい。 |